エールでは、木枯が裕一の同期でコロンブスレコードに入社しました。
木枯がコロンブスレコードに入社した話は、実話でしょうか?
結論からいうと、木枯のモデル・古賀政男さんは、コロンブスレコードのモデル・コロムビアと専属作曲家契約を結んでいますので、実話です。
ただし、古賀政男さん専属作曲ではなく社員入社を希望していました。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第31話『新婚生活がスタート』のあらすじ
こちらは、エール第31話『新婚生活がスタート』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
裕一と音の新婚生活が始まりました。
裕一が目を覚ますと音は、台所で朝食の支度をしていました。
準備がおわり、二人で朝食をとっているとお互いどう呼べばいいか唐突に音が聞いてきます。
私のことは音と呼んでと言われ、「お、、、音。」と呼び捨てにするとキャーといって転げる音。
「な~に?あなた。」と言うと裕一までもが転げてしまいました。
幸せな新婚のひとときです。
裕一は朝食を済ませると、コロンブスレコードに向かいました。
この日は初めてコロンブスレコードに出社する日だったのです。
ディレクターの廿日市に挨拶すると、もう1人の同期、木枯を紹介されます。
レコーディングルームにつくと録音中だったため、2人には部屋の前で少しの間待ってもらうことにしました。
裕一は、木枯という小説の主人公みたいな苗字は本名なのか聞くと、そうだと話して、互いに自己紹介をしました。
エールと実話の比較
さて、木枯がコロンブスレコードに入社しましたが、古賀政男さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
木枯がコロンブスレコードに入社した話は実話か?
エールでは、木枯がコロンブスレコードに入社しましたが、これは実話です。
木枯のモデルは作曲家の古賀政男さんで、コロンブスレコードのモデル・日本コロムビアに入社しています。
木枯と裕一が同期だった話は実話か?
エールでは、木枯が裕一の同期として廿日市から紹介されましたが、厳密には入社時期が違います。
古賀政男さんは、1931年(昭和6年)3月にコロムビアと専属契約を結んでいますが、裕一のモデル・古関裕而さんは、1930年(昭和5年)9月に結んでいます。
古関裕而さんの方が半年ほど入社が早いですが、ほぼ同期といっても差し支えないかと思います。
専属作曲家ではなく、社員として入社したかった話は実話か?
エールでは、木枯が専属作曲家として採用されていましたが、これは実話です。
しかし、これは古賀政男さんが希望したものではありません。
古賀政男さんは、専属作家よりもコロムビアの社員として入社を希望していました。
ところが、希望はかなわずに、コロムビアから「月二曲」を条件に強引に専属作曲家の契約を結ばされたと『評伝古関裕而』には綴られていました。
『古賀政男 歌はわが友わが心』でもこのことに触れられており、古賀政男さんは作曲家として生きる自信がなかったと綴っています。
そして、普通の社員として雇って欲しいとお願いしましたが、願いかなわず、月二曲作曲することを条件に専属作曲家の社員として雇われています。
エールで木枯がコロンブスレコードに入社した話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
専属作曲家として入社した話は実話でしたが、まさか本人が平社員を望んでいたとはびっくりですね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 木枯がコロンブスレコードに入社した話は、本当!
- 木枯と裕一が同期だった話は、古関裕而さんが1930年9月、古賀政男さんが1931年3月入社でほぼ同期
- 木枯が専属作曲家として契約した話は、本当!古賀政男さんは普通の社員として雇って欲しかった!
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