エールでは、裕一が鉄男が歌った竹取物語の歌からインスピレーションした交響曲『竹取物語』を一ヵ月後に完成させました。
裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させた話は、実話でしょうか?
結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんは、国際作曲コンクールの募集広告を見つける前に曲を完成させています。
しかも、交響曲『竹取物語』は高校生時代から作曲していた曲です。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第17話『関内音のお見合い』のあらすじ
こちらは、エール第17話『関内音のお見合い』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
国際作曲コンクールの対策会議で煮詰まった面々。
ふと飾ってあったお月見団子に目が行った菊池は、「そういえば、、、 今日は満月ね。」とつぶやきました。
皆でぞろぞろと月を眺めに外に出ると、そこには美しい満月が。
鉄男が、何気なく竹取物語の歌を口にします。
いまはとて
天の羽衣 着る折ぞ
君をあわれと
おもいしりぬる
この歌は月にかぐや姫が求婚者の帝に送った歌です。
その歌で何かが閃いた裕一。
鉄男を部屋に呼び、竹取物語を題材にした日本古来のメロディーを取り入れた交響曲にすると興奮しながら鉄男に伝えます。
鉄男の手を取り、ありがとうと言うと
「お前が音楽に戻ってくれてよかったよ。 安心した。」
と言う鉄男に
「違う。これを区切りにする。」
「音楽に別れ告げるための儀式なんだ。」
といって、また譜面に向かう裕一。
複雑な面持ちで見つめる鉄男がそこにはいました。
それ以降、裕一は夢中で曲を書き続けます。
「出来た、、、。」
1ヶ月後、ついに裕一にとって初めての交響曲『竹取物語』が完成しました。
久し振りに深い眠りにつく裕一。
エールと実話の比較
さて、裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させましたが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させた話は実話か?
エールでは、裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させましたが、これは実話ではありません。
裕一のモデル古関裕而さんは、国際作曲コンクールの応募広告を見る前に交響曲『竹取物語』を完成させています。
いつ交響曲『竹取物語』が完成したのか記述されていたのは、「古関裕而の昭和史」で、1929年(昭和4年)の5月ごろとされています。
それにしても、みずからの編曲や演奏を広く世に伝える楽しさよ。やはり音楽だ、広い 画 世界だ。その思いはますます募った。裕而は諦めず、作曲をつづけた。
そして一九二九年の五月ごろ。川俣町での生活が一年をすぎようとしていたとき、福商時代から取り組んでいた舞踊組曲「竹取物語」が完成した。
ひとつの前奏曲と、つぎの八 つの舞曲より成り立つ、会心の大作だった。
交響曲『竹取物語』は、福島商業高校の学生時代から作曲していた曲です。
よって、裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させた話は、実話ではありません。
竹取物語の歌からインスピレーションを受けた話は実話か?
エールでは、鉄男が歌った竹取物語の歌からインスピレーションを受けていましたが、これは実話ではありません。
交響曲『竹取物語』は、商業高校5年生のときに、ストラヴィンスキーの『火の鳥』 からインスピレーションを受けて、コツコツ作っていました。
こちらについては、いくつかの書籍でも同様の内容が書かれています。
よって、鉄男が歌った竹取物語の歌からインスピレーションを得た話は、実話ではありません。
エールの裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させた話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
裕一が一ヵ月後で完成させた話は実話ではなかったですが、それよりも前に作っていたのには驚きですね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 裕一が一ヵ月後に交響曲『竹取物語』を完成させた話は、実話ではなく、募集広告を見つける前に完成
- 古関裕而さんが交響曲『竹取物語』を完成させた時期は、1929年(昭和4年)の5月ごろ
- 竹取物語の歌からインスピレーションを受けた話は、実話ではなく、ストラヴィンスキーの『火の鳥』 からインスピレーションを受けた
エールと実話比較まとめ記事
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