エールでは、裕一と再会したとき、鉄男は新聞記者になっていました。
鉄男が新聞記者になっていた話は実話でしょうか?
結論からいうと、村野鉄男のモデルである野村俊夫さんは、再会したときに新聞記者になっていたので、実話です。
ただし、登場した服装は全然違います。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第15話『村野鉄男との再会』のあらすじ
こちらは、エール第15話『村野鉄男との再会』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
志津との接吻大作戦に失敗してがっかりする行員たち。
帰り道、作戦に失敗して落ち込んでいた裕一でしたが、志津がこれからは外で会いましょうと提案されるのです。
祐一は、接吻作戦は失敗しましたが、想いが通じたと思い喜びます。
天にも昇る気持ちで、思わずガッツポーズが出てしまいました。
その様子を背後から見ていた人物が、、、
有頂天になっていた裕一は、後ろから声をかけられます。
「何やってんだ?おめえ。」
見知らぬ男に絡まれたと思い込んだ裕一は、わけもなく謝ってしまいます。
「俺だ。鉄男だ。」
「うん?の、、、乃木大将?」
なんとそこにいたのは少年時代に乃木大将と呼ばれていた同級生の鉄男でした。
住み込みの部屋で話す二人。
鉄男は、藤堂先生の紹介で、新聞配りからはじめて、今は新聞記者になっていることを話しました。
「すごいね! おお~!」
「まあ記者って言っても任されんのは、まだお店の紹介とかだし。」
まだ店の取材くらいしかさせてもらっていませんが、夜逃げまでした子供時代を知る裕一はよかったと心から喜んでいました。
エールと実話の比較
さて、鉄男が新聞記者になっていましたがが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
鉄男が新聞記者になっていた話は実話か?
エールでは、鉄男が新聞記者になっていましたが、これは実話です。
野村俊夫さんも福島民友新聞社の新聞記者として働いていました。
野村俊夫さんが、裕一のモデル・古関裕而さんと再会したのは、商業高校時代で、そのときはすでに新聞記者として働いています。
よって、鉄男が新聞記者になっていた話は、実話です。
藤堂先生が新聞社を紹介した話は実話か?
エールでは、藤堂先生の紹介で鉄男が新聞記者になっていましたが、これは創作ストーリーの可能性が高いです。
まず、野村俊夫さんは古関裕而さんの5つ年上ですので、藤堂先生のモデルである遠藤喜美治さんと面識はなかった可能性があります。
さらに、古関裕而さんの書籍を読んでも新聞記者になっていた話はあっても、紹介されたという話は一切ありませんでした。
よって、藤堂先生の紹介で鉄男が新聞記者になっていた話は、創作ストーリーの可能性が高いです。
野村俊夫さんは、和服に帽子をかぶって取材していた?
野村俊夫さんが、和服に帽子をかぶって取材していた話は、実話です。
エールではジャケットを着て登場しましたが、野村俊夫さんは和服姿だったそうです。
こちらについては、古関裕而さんの自伝「鐘よ鳴り響け」でも以下のように書かれています。
主宰者、橘さんの親友であり、私の幼馴染みである野村俊夫君が練習日にはひょっこ り顔を出して、合奏に聞き入っていたのはその頃のことである。彼は、私が商業学校の生徒の時、地元の民友新聞社の少壮記者として現れた。
当時流 行のソフト、映画俳優バスター・キートンのかぶっていたソフトの山を平らにつぶした 帽子をかぶり、和服に、派手なマフラーを衿元にのぞかせたインバネスを着て、さっそ うと市内を闊歩していた。
そんな彼の姿がとても印象的であった。
よって、和服に帽子をかぶって取材していた話実話です。
裕一と再会したとき鉄男が新聞記者になっていた話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
裕一と再会したとき鉄男が新聞記者になっていた話は実話でしたが、和服姿だったとは想像が着きませんね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 鉄男が新聞記者になっていた話は、本当!福島民友新聞社の新聞記者
- 藤堂先生が新聞社を紹介した話は、創作ストーリーの可能性が高い
- 野村俊夫さんが和服に帽子をかぶって取材して話は、本当!派手なマフラーを衿元にのぞかせたインバネスを着ていた
エールと実話比較まとめ記事
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