エールでは、小学生のときに別れて以来、鉄男と久しぶりの再会を果たしました。
裕一が川俣銀行時代に鉄男と再会を果たした話は実話でしょうか?
結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんは、川俣銀行に就職する前に再会していますので、事実ではありません。
そもそもエールでは夜逃げでいなくなりましたが、単なる引越しです。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第15話『村野鉄男との再会』のあらすじ
こちらは、エール第15話『村野鉄男との再会』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
志津との接吻大作戦に失敗してがっかりする行員たち。
帰り道、作戦に失敗して落ち込んでいた裕一でしたが、志津がこれからは外で会いましょうと提案されるのです。
祐一は、接吻作戦は失敗しましたが、想いが通じたと思い喜びます。
天にも昇る気持ちで、思わずガッツポーズが出てしまいました。
その様子を背後から見ていた人物が、、、
有頂天になっていた裕一は、後ろから声をかけられます。
「何やってんだ?おめえ。」
見知らぬ男に絡まれたと思い込んだ裕一は、わけもなく謝ってしまいます。
「俺だ。鉄男だ。」
「うん?の、、、乃木大将?」
なんとそこにいたのは少年時代に乃木大将と呼ばれていた同級生の鉄男でした。
エールと実話の比較
さて、裕一が川俣銀行時代に鉄男と再会しましたが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
川俣銀行時代に鉄男と再会した話は実話か?
エールでは、小学生のときに別れて以来、鉄男と久しぶりの再会を果たしましたが、これは実話ではありません。
裕一のモデルは作曲家の古関裕而さんで、鉄男のモデルは作詞家の野村俊夫さんです。
エールでは鉄男が夜逃げしましたが、野村俊夫さんは裕一が小学校に入学したころに引越しをしています。
こちらについては、「【エール実話】鉄男の家族が夜逃げした話は本当!?魚屋は潰れましたが奉公に出ていました!」で詳しくまとめています。
野村俊夫さんは、古関裕而さんと同じ商業高校に通っていましたが、卒業はしていません。
そして、再会を果たしたのは裕而さんが商業高校に在学しているころです。
エールでも登場した福島ハーモニカ倶楽部の館林館長のモデルは、橘登さんで、野村俊夫さんと親友でもありました。
その関係もあって、福島ハーモニカ倶楽部の練習日には、顔を出して合奏に聴き入っていました。
こちらについては、古関裕而さんの自伝「鐘よ鳴り響け」でも以下のように書かれています。
主宰者、橘さんの親友であり、私の幼馴染みである野村俊夫君が練習日にはひょっこ り顔を出して、合奏に聞き入っていたのはその頃のことである。彼は、私が商業学校の生徒の時、地元の民友新聞社の少壮記者として現れた。
よって、野村俊夫さんと久しぶりの再会したのは、川俣銀行時代ではなく商業学校時代です。
野村俊夫さんは古関裕而さんと同じ商業高校に通っていた?
野村俊夫さんは1904年生まれで、古関裕而さんは1909年生まれです。
エールでは同級生という設定ですが、実話では5歳の年の差があります。
野村俊夫さんは、古関裕而さんと同じ福島商業学校に入学していたので、これは事実です。
ただし、家庭の事情や健康上の理由で卒業はしなかったとされています。
卒業していなくても母校には変りありませんので、親友・橘登さんが結成したハーモニカ倶楽部に顔出してもおかしくはなかったはずです。
裕一が鉄男と久しぶりの再会を果たした話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
裕一が川俣銀行時代に鉄男と久しぶりの再会を果たした話は実話ではありませんでしたが、それよりもずっと前に再会を果たしていたんですね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 川俣銀行時代に鉄男と再会した話は、川俣銀行時代ではなく商業高校時代に再会
- 橘登さんと野村俊夫さんの関係は、親友
- 野村俊夫さんは古関裕而さんが同じ商業高校だった話は、本当!野村俊夫さんは卒業まではしていない
エールと実話比較まとめ記事
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