エールでは、舘林会長が、裕一に嫉妬しつつもその才能を認めていました。
館林信雄が裕一の才能を認めていた話は、実話でしょうか?
結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんに指揮の指導や音楽そのものを教えているので、事実です。
しかも、館林信雄は、村野鉄男の親友でもあります。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第12話『作曲が出来ずに悩む裕一』のあらすじ
こちらは、エール第12話『作曲が出来ずに悩む裕一』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
ハーモニカ倶楽部では、公演会に向けて練習をしていました。
練習が終わると、館林が最後にみんなに伝えたいことがあると話します。
それは、次の公演を持って倶楽部を辞めることと、次期会長に裕一を指名したいことでした。
突然の指名に戸惑い「僕を否定したのに、何でですか?」と聞くと、君の作品はすばらしいと褒めたのです。
さらに「僕は君に嫉妬している。ただ同時にその才能を無駄にしてほしくないとも思ってる。」と話します。
館林は、彼に嫉妬しつつもその才能を認めていたのです。
ありがとうございますと答え、最後は、みんなから拍手を送られて次期会長になることが決定しました。
家に戻ると相変わらず音楽のことばかりで作曲をしていました。
この時間がとても幸せなようで仰向けに大の字になりながら「ああ~楽しい」と今の気持ちを言葉にします。
エールと実話の比較
さて、舘林会長が、裕一に嫉妬しつつもその才能を認めていましたが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
館林信雄が裕一の才能を認めていた話は実話?
エールでは、舘林会長が、裕一の才能を認めていましたが、これは実話です。
館林信雄のモデルは、橘登さんです。
橘登さんは、「福島ハーモニカ・ソサエティー」の創始者で、古関裕而さんも大正12年から参加しています。
橘登さんは、裕而さんに指揮の指導をしており、橘登が主宰する定期公演では、作曲や編曲を担当し、指揮もしているほどです。
それだけ信頼があり、才能を認めていたことになります。
橘登さんは古関裕而さんの恩師4傑の一人!?
古関裕而さんは、日本教育新聞に「わが師」として4人の恩師の名前をあげています。
その中の一人が橘登さんです。
古関裕而さんは、日本教育新聞に「私に音楽そのものを教えてくれた恩人である。はじめはアンサンブルを楽しんでいたが、やがて新しく編曲する技術も覚え、指揮も先輩に教えてもらったのである。」と回想しています。
ちなみに古関裕而さんが挙げた4人は以下のとおりです。この中には藤堂先生のモデルである遠藤喜美治さんも含まれます。
- 遠藤喜美治
- 橘登
- 坂内萬
- 丹治嘉市
館林信雄は、村野鉄男の親友だった!?
村野鉄男のモデルは、作詞家の野村俊夫さんです。
エールでは、鉄男は家族とともに夜逃げしましたが、野村俊夫さんは古関裕而さんが通った福島商業学校に入学しています。
しかし、家庭の事情で卒業まではしませんでしたが、その後、福島民友新聞の記者なっています。
実は、橘登さんと野村俊夫さんは親友で、「福島ハーモニカ・ソサエティー」の練習に顔を出していました。
橘登さんが皆を集めて引退理由を発表するとには、野村俊夫さんも参加しています。
エールの館林信雄が裕一の才能を認めていた話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
館林信雄が裕一の才能を認めていたのは実話でしたが、鉄男と親友なのはびっくりですよね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 館林信雄が裕一の才能を認めていた話は、本当!指揮の指導をうけていて、作曲や編曲を担当していた
- 橘登さんは古関裕而さんの恩師の一人だった話は、本当!音楽そのものを教えてくれた恩人と回想していた
- 館林信雄は、村野鉄男の親友だった話は、本当!練習に顔を出していた
エールと実話比較まとめ記事
知っている実話ありますか?
朝ドラファンの皆さんのコメント!