エールでは、裕一の伯父である権藤茂兵衛が、跡取りがいないことから、古山家に養子縁組の話をもちかけます。
茂兵衛からの養子縁組の話は、実話でしょうか?
結論から言うと、養子縁組は創作ストーリーであり、事実ではありません。
しかし、可能性が0ではない事情があります。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第5話『呉服店「喜多一」が大ピンチ!』のあらすじ
こちらは、エール第5話『呉服店「喜多一」が大ピンチ!』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
呉服店「喜多一」の番頭・隆彦が、三郎にこのままでは喜多一が危ないと話をします。
そして、どこからかお金を借りなければと提案しますが、天下の喜多一が借金できるかと三郎はまったく受け付けない様子。
第一次世界大戦も終わり、各国が力をつけてきたご時世、日本では不況になり、喜多一もその影響を受けていたのです。
従業員が心配している様子をみて、三郎がなんとかする!と話し、銀行などから融資の依頼に走りますが、どこもかけあってくれませんでした。
最後の頼みと三郎は、まさに義兄の茂兵衛に融資をお願いしようと思うと話します。
すると、まさから「頼むのならその前に、あなたにお伝えしとかなければといけないことがあります。」と言われました。
まさは、兄・茂兵衛から融資をする代わりに裕一か浩二のどちらかを養子に出すよう迫られていたのです。
エールと実話の比較
さて、裕一の伯父・茂兵衛が、古山家に二人の息子のどちらかを養子に出すよう迫っていますが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍やブログです。
茂兵衛からの養子縁組の話は本当か?
エールでは、裕一の伯父・権藤茂兵衛から、跡取りがない権藤家に古山家の兄弟どちらかを養子に出してほしいと再三迫られます。
茂兵衛からの養子縁組の話は、実話でなく創作ストーリーです。
古山裕一のモデルは、作曲家の古関裕而さんです。
そして、茂兵衛のモデルで、古関裕而さんの伯父は、武藤茂平さんです。
茂兵衛のモデルである武藤茂平さんには、四男四女の子供がいました。
しかし、長男、次男、三男は早くに亡くなります。
そして四男は、第二次世界大戦の時に、ガダルカナルで戦死します。
こちらについては、古関裕而さんの長男・古関正裕さんのブログで以下のよう説明されています。
ドラマでは権藤家には跡取りがいなくて、古山家から養子をもらうという設定になっていますが、実際の武藤茂平には四男四女がおりました。しかし男の上の三人は早くに亡くなり、四男は第二次大戦でガダルカナルで戦死しています。
実際に、古関裕而さんは作曲家になり、裕而さんの弟・古関弘之さんも別の職業についています。
古関弘之さんの職業については、「【エール実話】浩二が喜多一を継いだのは本当!?デマ拡散で既成事実化!?」で詳しくまとめていますのでご確認ください。
ちなみに、古関裕而さんは作曲家になる前に、武藤茂平さんの銀行に就職しています。
しかし、養子縁組のために就職したわけではありません。
こちらについても「【エール実話】裕一が川俣銀行に就職!実はぶらぶらしていたから就職した!?」で詳しくまとめていますのでご確認ください。
よって、茂兵衛からの養子縁組の話は、実話ではありません。
ただし、子供がいましたが、跡継ぎの男子は全員亡くなっているため、そのあとに跡取りとして養子縁組の話があった可能性も捨て切れません。
茂兵衛からの養子縁組の話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
子供がなく跡取り問題が深刻だった茂兵衛さんですが、実はお子さんが四男四女もいたんですね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 茂兵衛からの養子縁組の話は、実話ではなく創作ストーリー
- 武藤茂平さんの子供は、四男四女いた
- 武藤茂平さんの跡取りは、長男、次男、三男は早くに亡くし、四男は戦死で誰が継いだかは不明
エールと実話比較まとめ記事
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