エールでは、裕一が音楽の道を諦め、伯父の権藤茂兵衛が経営する川俣銀行に就職しました。
裕一が川俣銀行に就職した話は、実話でしょうか?
結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんは伯父の武藤茂平が経営する川俣銀行に就職しているので、エールの話は実話です。
ただし、銀行に就職した理由が、エールと実話では違います。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第13話『三郎からの人生に関わる告白』のあらすじ
こちらは、エール第13話『三郎からの人生に関わる告白』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
三郎が経営する呉服屋『喜多一』は、京都の商品を福島の呉服店や百貨店に卸す問屋をしていました。
そんな喜多一を訪ねてきたのは、吉野という男で、「もうちょっと、商売を広げる気はないですか?」と話を持ちかけてきました。
その儲け話というのは、京都の呉服を一手に引き受けるという話で、三郎は喜んで連帯保証人のハンコを押します。
すると、数日後、吉野がとんずらしたという話を聞き、三郎は多額の借金を背負うことになりました。
このままでは、喜多一が潰れてしまうので、融資を受けるため、義兄の権藤茂兵衛にお願いしますが、融資をする条件が、二人の子供のどちらかを権藤家の養子にすることでした。
こうして、裕一は音楽の道を諦め、権藤家の養子になるべくして、川俣銀行に就職することになります。
エールと実話の比較
さて、喜多一を救うために音楽の道を諦め、川俣銀行に就職することになった裕一ですが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
川俣銀行に就職したのは実話?
エールでは、伯父の権藤茂兵衛が経営する川俣銀行に就職することになりましたが、これは実話です。
権藤茂兵衛のモデルは、古関裕而さんの伯父である武藤茂平で、県内有数の資産家で、貴族院議員も務めたことがある人物でした。
武藤茂平さんは川俣銀行も経営しており、古関裕而さんは実際に川俣銀行に就職しています。
伯父の銀行に就職している設定も、実話と同じです。
川俣銀行に就職した時期はいつ?
古山裕一(窪田正孝)が、川俣銀行に就職したのは、商業高校を卒業してすぐのことでした。
裕一が商業高校を卒業したのは、1928年(昭和3年)の3月で、そのあとすぐに川俣銀行に就職しています。
古関裕而さんも旧制福島商業学校を1928年3月に卒業していますが、川俣銀行に就職したのは1928年5月で、若干の違いはあるもののほぼ同じ時期に就職しています。
川俣銀行に就職した理由は養子?
エールでは、茂兵衛に子供がおらず、権藤家を存続させるために裕一が養子になる条件で、融資してもらいましたが、これは実話とは違います。
古関裕而さんが銀行に就職した理由は、学校卒業後、作曲三昧でぶらぶらしていたところに、武藤茂平さんから、ぶらぶらしてるならウチで働けといわれて、就職しています。
銀行が暇だったという話は本当らしく、武藤茂平さんの家に居候しながら、銀行員として働いていました。
エールの裕一が川俣銀行に就職した話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
川俣銀行に就職したのは実話でしたが、理由が全然違いましたね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 川俣銀行に就職したのは、本当
- 川俣銀行に就職した時期は、1928年(昭和3年)は同じだが、2ヶ月ほど時期が違う
- 川俣銀行に就職した理由は、養子縁組ではなく、ぶらぶらしていたから
エールと実話比較まとめ記事
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