双浦環のモデルは三浦環!古山音と一緒で音楽学校時代人妻でした!?

朝ドラ「エール」の双浦環のモデルは、オペラ歌手の三浦環さんです。

こちらでは、三浦環さんがどのような人物だったのか、古山夫妻のモデルである古関裕而さんと古関金子さんと、どのような関係のあったのかまとめています。

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双浦環のモデル「三浦環」のプロフィール

 

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朝ドラ「エール」の世界では、柴咲コウ演じる双浦環が世界的オペラ歌手として登場し、ヒロインの関内音は、双浦環に憧れてプロの歌手を目指します。

この双浦環のモデルとなっているのが、同じくオペラ歌手の三浦環さんです。

三浦環(みうらたまき)さんの基本情報がこちら。(以下敬称略

本名 柴田環(しばたたまき) 出身地 東京府東京市京橋区弓町
生年月日 1884年2月22日 学歴 東京音楽学校卒業
死没 1946年5月26日(62歳没) 職業 歌手

三浦環は、1884年の明治17年2月22日に東京市京橋区弓町で、日本最初の公証人をしていた柴田孟甫(しばたもうほ)の長女として生まれました。

生家は、帝国劇場のすぐ近くで、後にこの帝国劇場で大活躍することになります。

裕一のモデル・古関裕而は、1909年(明治42年)生まれで、年の差は25歳。

音のモデル・古関金子は、1912年(明治45年)生まれで、28歳差ですが、エールの中で成人して再開したときは、本当は50歳に近いぐらいの年齢です。

柴咲コウが演じていたときが38歳なので、大分若いですね。

音楽に目覚めたのは父親の影響!?

柴田孟甫は芸事が好きだったようで、三浦環に3歳で日本舞踊、6歳で長唄や琴を習わせていました。

そんな父親なんですが、他の女性と恋仲になって、それを知った三浦環は、将来音楽家になって、母親を養ってあげたいと思ったそうです。

そして、母・永田登波は娘の決意に賛成して、孟甫と離婚します。

音楽学校進学の代わりに結婚

将来音楽家になるために、東京音楽学校を目指していましたが、父親から女学校を卒業したら嫁に行くものと大反対されます。

そこで、孟甫が選んだ陸軍軍医の藤井善一(ふじいぜんいち)と結婚する代わりに、東京音楽学校への進学が許されました。

こうして、1900年の明治33年9月に、現在の東京芸術大学音楽学部である東京音楽学校に入学します。

つまり、三浦環は人妻で女学生だったということです。

ここポイントで、エール第44話で、古山音(二階堂ふみ)が人妻で音楽学校に通っていることを、友達とライバルの夏目千鶴子(小南満佑子)が、知ります。

そいて、千鶴子から呼び出しくらって、「あなたみたいな強欲は人に、私は負けるわけにはいかないの。」って言われちゃうんですよね。

千鶴子の敬愛する双浦環が人妻で音楽学校に通っていたことを知ったら、どう思っていたか知りたいところですw

ちなみに三浦環は、数年後、夫の転勤についていくか、声楽家として活動するか悩んだ結果、離婚します。

古関裕而さんとの関係は?

朝ドラ「エール」の主人公・古山裕一のモデルは、作曲家の古関裕而さんです。

三浦環さんは、古関裕而さんが作曲した「船頭可愛や」をカバーした人物でもあります。

つまり、二人は協力してレコードを発表したことになります。

こちらは、エールの第10週「響きあう夢」でも、裕一が作曲した「船頭可愛いや」を双浦環が歌いたいとお願いして実現しています。

古関金さんとの関係は?

朝ドラ「エール」のヒロイン・関内音のモデルは、裕而の妻・古関金子さんです。

実は、金子さんは、三浦環さんを敬愛していて、「船頭可愛や」を歌うと知ったときは、ものすごく喜んだそうです。

三浦環の参考書籍

三浦環について、もっと詳しく知りたい方は、以下の書籍がよくまとめられています。

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