エールでは、村野家がお金を借りたまま夜逃げをしていました。
村野家が夜逃げをした話は、実話でしょうか?
結論からいうと、引っ越したのは事実ですが、創作ストーリーの可能性が高いです。
しかも鉄男は、ある場所へ奉公にいっていました。
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第6話『鉄男との別れ』のあらすじ
こちらは、エール第6話『鉄男との別れ』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
ある日、裕一と三郎は、レコードを聴きながら寝転んでくつろいでいました。
そこへ、「起きて!大変!」とまさが大慌てでかけよってきます。
話をきくと、どうも村野家が、あちこちからお金を借りて夜逃げしたようです。
裕一は、その話を聞いて、すぐに鉄男の家に向かいました。
鉄男の家に着くと、すでに借金取りが鉄男の家に来ていて、もぬけの殻だといっているのを耳にします。
鉄男の詩に裕一が曲をつけたというのに直接届けることができなくなった、裕一は山を掛け走ります。
「大将、出来たよ。聴いて。」
裕一は作曲した楽譜をとりだすとそこには、鉄男の名前が書かれていました。
浮世小路行進曲
詩・村野鉄男 作曲・古山裕一
山の上からどこかにいる鉄男に聞こえるように裕一は完成したばかりの「浮世小路行進曲」を歌います。
エールと実話の比較
さて、村野家がお金を借りたまま夜逃げをしましたが、野村俊夫さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍やブログです。
村野家が夜逃げをした話は実話か?
エールでは、村野家がお金を借りたまま夜逃げをしていましたが、これは創作ストーリーの可能性が高いです。
村野鉄男のモデルである野村俊夫さんですが、そのような事実は見当たりませんでした。
ただし、引越しのは事実です。
野村俊夫さんの実家は、魚屋『魚忠』で、一軒家に住んでいました。
場所も喜多一の目の前です。
こちらについては「【エール実話】鉄男が住んでいた家が古い長屋は本当!?いえ、古山家から徒歩○歩の一軒屋!」で詳しくまとめています。
古山裕一のモデル・古関裕而さんは、俊夫さんが引っ越した後、数年後に再開し、コンビを組むようになります。
引越しをした時期はいつ?
鉄男が夜逃げしたのは、小学生の時期でしたが、野村俊夫さんは、古関裕而さんが通った福島商業学校に1916年に入学しています。
しかし、家庭の事情や健康上の理由で卒業はしなかったとされています。
こちらについては、野村俊夫さんの息子・鈴木克東さんの対談で紹介されています。
よって、少なくとも1916年にはまだ引っ越していないので、エールとは時間軸が違います。
学校を辞めた後は何をしていた?
エールでは、鉄男は夜逃げして成長すると新聞記者になりますが、野村俊夫さんは、学校を辞めた後、角田林兵衛と言う裕福な家で、奉公をしていました。
奉公先でも詩を書いており、野村俊夫と言うペンネームで、新聞や雑誌に投稿しています。
奉公先で勤めた後は、エールの鉄男と同様に、地元新聞の『福島民友』で記者をしていました。
エールの村野家が夜逃げをした話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
村野家が夜逃げをした話は創作ストーリーの可能性が高いですが、まさか福島商業学校進学まで入学していたのにびっくりですね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 村野家が夜逃げをした話は、創作ストーリーの可能性が高い
- 引越しをした時期は、少なくとも高校生になった1916年以降
- 野村俊夫さんは学校を辞めたあとは、富豪・角田林兵衛の家で、奉公をしていた
- 奉公先で勤めたあとは、『福島民友』で記者をしていた
エールと実話比較まとめ記事
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