エールでは、留学先のパリで双浦環が今村嗣人に惹かれて恋人関係になりました。
双浦環と今村嗣人が恋人だった話は、実話でしょうか?
結論からいうと、双浦環のモデルある三浦環さんは、留学したときすでに結婚していましたので、実話ではありません。
もしも、恋人がいたとしたら不倫ですw
こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。
エール第59話『環のパリの物語』のあらすじ
こちらは、エール第59話『環のパリの物語』のあらすじの一部です。
ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。
1913年(大正2年)、若かりし頃の双浦環は、声楽を学ぶためにパリにやってきました。
不安と希望で一杯だった環は、友人の里子から誘われて、パーティーに参加したものの、場の雰囲気に馴染むことが出来ませんでした。
フランス語がなかなか話せない環は、一人でポツンとなって絵を眺めていると、彼女の元に日本人の若者が近づいてきました。
すると、この絵を見てどう思う?と聞いてきました。
環は、最初素晴らしいと答えますが、心に浮かんだことを言ってと言われ、素直に中途半端と答えました。
その男性は、笑いながら、「同感だ。僕はこのアパートの住人。今村嗣人、中途半端な画家を目指す男です。」と挨拶をします。
カフェで環が勉強をしていると、席に嗣人がやってきてお茶をすることに。
嗣人が「世界を目指しているんだろ?」と聞くと、環はスカラ座やオペラ座の舞台に立ちたいと話しました。
彼は環の情熱を知り、そして二人で夢を叶えようと彼女を見つめます。
二人が恋人になる時間は多くは掛からず、夏を迎える頃には、嗣人の部屋で一緒に暮らすようになっていた。
エールと実話の比較
さて、双浦環が今村嗣人に惹かれて恋人関係なりましたが、三浦環さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。
実話の出所は、以下の書籍です。
双浦環と今村嗣人が恋人になった話は実話?
エールでは、双浦環と今村嗣人が恋人になりましたが、これは実話ではありません。
三浦環さんが留学したときには、すでに結婚していて夫がいましたので、今村嗣人との話は、創作ストーリーです。
夫は、医者をしていた三浦政太郎さんです。
三浦政太郎さんは2回目の結婚した旦那で、一番最初に結婚した旦那は、父・柴田孟甫さんが勧めた陸軍三等軍医正の藤井善一さんでした。
今村嗣人のモデルは、パリで活躍した画家・藤田嗣治さんです。
嗣治さんは、1913年(大正2年)にパリに渡航しており、エールの時間軸と一致しています。
嗣治さんはこのときすでに環さんと同じで結婚していますが、妻の鴇田登美子さんを日本に残し、単身パリに渡航していました。
三浦環さんが留学したのは実話か?
エールでは、双浦環が留学しましたが、これは実話です。
音楽の勉強をするために留学しますが、パリではなくドイツに留学していました。
しかし、ドイツで第一次世界大戦が勃発したため、やむを得ずロンドンに向かいます。
よって、パリで留学していた話は、実話ではありません。
三浦環さんが留学した時期は?
エールでは、1913年(大正2年)にパリで留学していることになっていましたが、留学時期は若干違います。
三浦環さんがドイツに到着したのは、1914年(大正3年)7月で、その後ロンドンに向かっています。
お互い留学していた時期が同じと言うだけで留学先も違いましたが、エールでは嗣治さんの実話に合わせたストーリーになっていることがうかがえます。
もしも二人が恋仲になっていたら、お互い既婚者ですので、W不倫でしたねw
エールの双浦環がパリで恋人がいた話と実話の比較まとめ
ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。
留学にいく話は実話でしたが、お互いすでに既婚者でしたね。
今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。
- 環と嗣人が恋人になった話は、創作ストーリー
- 三浦環さんが留学した話は、本当!
- 三浦環さんが留学した場所は、パリではなくドイツで、その後ロンドンへ
- 三浦環さんが留学した時期は、1912年ではなく1913年
エールと実話比較まとめ記事
知っている実話ありますか?
朝ドラファンの皆さんのコメント!