2020年4月スタートの朝ドラ「エール」のモデルとなったのは、六甲おろしを作曲した有名な作曲家「古関裕而(こせきゆうじ)」さんです。
朝ドラ「エール」では、主人公「古山裕一」として、窪田正孝さんが演じることで話題になりました。
こちらでは、朝ドラ「エール」のモデルである古関裕而さんのプロフィールと半生を紹介します。
朝ドラエールのモデル「古関裕而」とは?
朝ドラ「エール」のモデルである古関裕而さんは、1909年(明治42年)8月11日に、福島県の呉服屋「喜多三(きたさん)」の長男として生まれました。
呉服屋「喜多三」も朝ドラ「エール」の中でモデルとなっており、三ではなく「喜多一」という呉服屋でストーリーが進みます。
音楽好きの父親
古関裕而さんの父親が音楽好きだったこともあり、実家には蓄音機とレコードがありました。
そんな家庭の中、古関裕而さんは幼少の頃から音楽の中で育ち、作曲の道を独学で志します。
音楽家の多い商業高校に入学
青年期には、音楽家の多い現在の旧制福島商業学校に入学します。
学生生活で勉学に励みながらも作曲に夢中になり、ハーモニカバンドに入団して、作曲も担当ています。
日本人初の国際的作曲コンクールで入賞
高校を卒業してからは、川俣銀行に就職し、銀行で勤務をしながら、リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に師事しています。
そして、イギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募して、日本人初となる国際的作曲コンクールにおける入賞を果たします。
朝ドラ「エール」の中でも銀行に勤務し、日本人初の国際的作曲コンクールで入賞しますが、それまでの道のりをどう描くのか楽しみでもあります。
レコード会社「コロンビア」の専属作曲家へ
レコード会社「コロンビア」の顧問だった山田耕筰氏の推薦で、コロンビアの専属の作曲家となり、東京に住むようになります。
ここまで順風満帆に見える半生ですが、実は、専属の作曲家になったのは、実家の呉服店「喜多三」が破綻し、生活費を稼ぐためだったとも言われています。
曲が大ヒットし人気作曲家へ
コロンビアの専属の作曲家になってからは、昭和10年に新民謡調の「船頭可愛や」が大ヒットし、人気作曲家として名前が売れていきます。
戦時中には哀愁を帯びた古関メロディーが多くの人達に響き、喜ばれました。
戦後は、日本の社会を明るくするための活動に注力
戦後は、これまでの哀愁を帯びた古関メロディーではなく、日本の社会を明るくするために、「長崎の鐘」や「鐘の鳴る丘」などの名曲を作曲しています。
さらに、1964年の東京オリンピックの際には、開会式に鳴り響いた「オリンピックマーチ」を作曲し、「フランチェスカの鐘」「高原列車は行く」など、多くの方が一度は聞いたことがある作品を世に出しています。
ラジオドラマや応援歌など多岐に渡る活躍
高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」は、行進曲として多くの人達に知られていますが、その他にも大学の応援歌も数多く手がけ、流行歌や大ヒットしたラジオドラマの音楽も担当しました。
特に大学など学校の応援歌やプロ野球の観戦の際に歌われる六甲おろしなどの球団歌、行進曲を多く作曲しています。
プロ野球では、多くの球団歌を作曲したことや国民から多く支持されたため、彼の野球殿堂入りについての応援や活動が盛んになっています。
生涯で作曲した歌は5,000曲
幼少期から一貫して音楽が大好きで、作曲をする能力に優れており、激動の時代に音楽を通じて国民に元気や明るさを与えることになりました。
現在でも引き続き親しまれている歌は多く、生涯で作曲した歌は5,000曲に及ぶと言われています。
また、楽器を一切使わず、頭の中だけで作曲をする方法をとっており、独自の作曲スタイルとしても知られています。
古関裕而記念館を建立
古関裕而さんは、これまで60年近くの年数を作曲活動に費やしており、残された多くの楽曲を知るとともに、作曲に注いだエネルギーやスケールの大きさにとても魅力を感じます。
今回、朝ドラ「エール」のモデルとして注目されていますが、今もなお彼の音楽を親しむ人達は多くいます。
そこで、これまでの偉大な功績を称えて、出身地の福島県福島市に古関裕而記念館が建立され、モニュメントも設置されています。
しかし、古関裕而記念館が建てられた時、古関裕而さんは病で入院生活を送っており、翌年の1989年(平成元年)8月18日に脳梗塞のため亡くなりました。
妻・古関金子との出会い
ここまで、朝ドラ「エール」のモデルである古関裕而さんの半生について紹介しましたが、彼の半生を支えた妻・古関金子さんを知ることで、朝ドラ「エール」を理解しやすくなり、楽しみにして観ることができます。
朝ドラ「エール」の主人公「古山裕一」の妻の名前は「関内音」です。
二階堂ふみさんが演じるヒロイン「関内音」のモデルとなっているのが、古関裕而さんの妻である古関金子さんです。
文通から始まった二人の恋
旧姓は内山で、内山金子さんは、愛知県豊橋市出身で声楽家志望の女性でした。
結婚する前は、古関裕而さんのファンであり、文通を経て1930年に二人は結婚しています。
結婚したとき、古関裕而さんは20歳で、古関金子さんは18歳でした。
古関裕而さんはその後、愛妻家として知られており、おしどり夫婦として生活を続けます。
音楽活動のパートナーにして共に生きる夢を持つ
古関裕而さんは、古関金子さんとの関係を作曲家シューマンとその妻クララになぞらえ、この女性を自分の音楽活動のパートナーにして共に生きる夢を持ちました。
恋愛をしていた時期、金子の詩に曲をつけたり、オーケストラや歌謡曲、室内楽等、計26曲を創作して、すべてをこの女性に捧げるとラブレターに書き、情熱的な恋愛をして結婚に至っています。
古関金子は、声楽家の夢を持っていたため結婚後音楽学校へ通い、中山晋平氏に声楽の才能を称賛されたと言われています。
「関内音」のモデルである古関金子さんについては、役のみどころなど含めてこちらで詳しくまとめていますので、あわせてご確認ください。
古山裕一の幼馴染にもモデルがいる!?
朝ドラ「エール」の中で古山裕一の幼馴染として登場する「佐藤久志」と「村野鉄男」にも実際のモデルがいます。
佐藤久志のモデルは歌手の伊藤久男さん
佐藤久志のモデルとなっているのが、歌手の伊藤久男さんで、村野鉄男のモデルとなっているのが、野村俊夫さんです。
伊藤久男さんは、古関裕而さんの勧めでレコード歌手の仕事をしており、専属作曲家として活躍していた「コロンビア」からもデビューしています。
村野鉄男のモデルは作詞家の野村俊夫さん
村野鉄男のモデルとなっているのが、作詞家の野村俊夫さんで、近所に古関裕而さんが住んでいたこともあり、子供のころはよく仲良く遊ぶ仲だったそうです。
「福島行進曲」という曲は、古関裕而さんが作曲、野村俊夫さんが作詞をした初めてのレコードであり、このころからフリーの作詞家として活動しています。
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